祖国の独立のために捧げた、激動の24年 (1908 - 1932)
梅軒・尹奉吉義士の誕生から、農村啓盟運動、救国の志を抱いての中国亡命、そして上海虹口公園での大義挙と殉国に至るまでの尊い足跡を時系列でご紹介いたします。
1908 0歳
6月21日:忠清南道礼山郡徳山面にて誕生。
1918 10歳
徳山公立普通学校に入学。
1919 11歳
三・一独立運動に接し、日帝の植民地奴隷教育に反対して学校を自主退学。
1921 13歳
私塾「烏峙書塾」で高名な儒学者・成周録先生に漢学を学ぶ。後に「梅軒」の雅号を受ける。
1922 14歳
裴用順(ペイ・ヨンスン)女史と結婚。
1926 18歳
自立精神と実力を養うための農村啓蒙活動を開始。夜学を開設してハングルなどを教える。
1927 19歳
啓蒙活動のための独自の教科書『農民読本』(全3巻)を執筆。
1928 20歳
啓蒙団体「復興院」を設立。水岩山体育会の結成や購買組合の組織運営を主導。
1929 21歳
農民自立の協同組織「月進会(ウォルジネ)」を結成。
1930 22歳
3月6日:「丈夫出家生不還」の書き置きを残し、祖国光復を志して中国へ亡命。
1931 23歳
上海に到着。大韓民国臨時政府の要人である金九(キム・グ)主席と会い、決死の義挙を準備。
1932 24歳
4月26日:韓人愛国団に入団宣誓。
4月27日:記念写真を撮影し、自筆の履歴書と4編の遺詩を金九に託す。
4月29日:上海虹口公園の祝賀式場にて爆弾投擲の義挙を断行。その場で逮捕される。
12月19日:日本石川県金沢の陸軍兵器作業場にて銃殺刑が執行され、24歳で殉国。
4月27日:記念写真を撮影し、自筆の履歴書と4編の遺詩を金九に託す。
12月19日:日本石川県金沢の陸軍兵器作業場にて銃殺刑が執行され、24歳で殉国。